特集 国際保健協力
フィリピン熱帯医学研究所の発足
金子 義徳
1
Yoshinori KANEKO
1
1東邦大学医学部公衆衛生学教室
pp.36-40
発行日 1982年1月15日
Published Date 1982/1/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401206458
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フィリピンは成田空港からジェット機で約4時間,今日では多数の日本人が活動しているのみならず,入れかわり立ちかわり多数の観光客が訪れている.日本海外協力事業団(JICA)関係についても約70名の専門家が医学,林業,漁業,交通,港湾,電気,窯業等の技術協力に従事しており,家族を含めると約150名くらいが滞在している現状である.聞くところによると日本人会に入会している人数は約1,600ということであり,観光客などを含めると常時約4,000人の日本人が滞在していることになる.したがって日本人子弟のための小学校,中学校もあって約400人の学童が在籍し,日本人の先生も約20人在勤されているようである.マニラではしばしば国際会議が開かれ,日本政府の要人の来比も少なくない.またWHOの地域事務所やアジア開発銀行などの国際機関もあって,日本人が大いに活躍していることは周知である.
フィリピン自体については経済事情はいぜんとしてきびしい状況にあるが,私が過去数年間,来比する毎に新らしい建物に気付くくらいで,これが発展途上国かと疑う場合も少なくない.私が滞在したMakatiはフィリピンのいわば経済の中心であり,立派な建物が林立している.フィリピンの個人所得はすでに500ドルを越えたといわれるが,問題はその富の分配にあるといわれており,貧困な人々が多いことは事実である.
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