人にみる公衆衛生の歴史・11
国崎定洞(1894〜1937?)—社会衛生学より革命運動へ—1.衛生学者"国崎"
川上 武
1
,
上林 茂暢
1
1杉並組合病院内科
pp.186-187
発行日 1972年3月15日
Published Date 1972/3/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401204442
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忘れられた衛生学者,国崎定洞.日本の社会衛生学の先駆者でありながら,その生涯と仕事はながく抹殺されてきた.直接影響をうけた数少ない衛生学の大家の思い出のなかから,"国崎"の存在が,現代に復活するまでにはながい年月を要した.その原因としては,国崎が衛生学者として意識的に人民の立場にたち学問のなかにマルクス主義的方法をとりいれ,生涯にわたって反体制的行動に終始したことが第一にあげられよう.
さきに,われわれは国崎の著作・関係者の証言をもとに彼の生涯を復原したが(「国崎定洞—抵抗の医学者」1970,勁草書房),国崎こそ医者のなかではもちろん,当時の知識人としての本格的にマルクス主義に接近したごく初期の人である.医療史のみならず現代史のうえでも先駆的役割をはたしていることも明らかになってきた.公害問題をはじめ,衛生学者の世界観がきびしく問われている今日,国崎の生涯がわれわれになげかけている意味を考えてみたい.
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