特集 戦後30年の公衆衛生と私
川崎市における戦後の公衆衛生を回顧して
依田 源次
1
1川崎市衛生局
pp.560-561
発行日 1977年8月15日
Published Date 1977/8/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401205436
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■はじめに--
憲法記念30周年は,地方自治が発足してから30年経たことにもなる,この機会に地方自治体のなかで,その行政の一部である公衆衛生に関わりつづけてきた者の一人として,30年間の公衆衛生の変革を回顧し,また私自身の反省の糧としてこの間の遍歴をしめくくってみたい.
昭和23年の川崎市の人口は約29万人,30年後の52年には102万人に達しているが,地域的には町村合併は全くなく,同一面積のなかでこれだけ過密化し,併せて,川崎市といえば公害都市の代表格になるほど工業地帯として環境が悪化し,公衆衛生の面でもいろいろな問題をかかえながら成長してきた.この発展の過程を同じレンズで経時的に捉え,そのフィルムを私の頭のなかで再映してみるわけであるが,ディレクターである私自身は,30年間公衆衛生の深淵にどっぷりつかって,その道一筋に公衆衛生と運命を共にしてきたと自惚(うぬぼ)れるほど純真ではなく,臨床への未練が断ち切れず,泥くさい人間関係に嫌気がさし,いくたびか離脱の機会を求めて迷走しつづけながら,いつのまにか30年を迎えてしまった.
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