研究所総点検
人口問題研究所
館 稔
pp.396-397
発行日 1972年6月15日
Published Date 1972/6/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401204492
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沿革と問題史的背景 日本はすでに近代化以前から,国土に対して,またその人口を養う経済に対して,過大で濃密な人口をもってきた.しかし近代的人口問題が社会の問題意識にのぼったのはようやく1916(大正5)年,内務省の保健衛生調査会においてであった.その問題のとらえ方は,どうして死亡率を改善し,人口の質的向上を図るかということであった.その意義は別の機会にゆずり,ここでは,日本の近代的人口問題が公衆衛生の分野から発足したことを指摘するにとどめる.ついで問題意識にいちじるしく訴えた事件は1918(大正7)年の「米騒動」であった.さらに,1920年,はじめて国勢調査が行なわれ,人口増加に関する正確な情報が得られるようになったが,1927(昭和2)年5月,内閣統計局は人口増加年100万突破と公表した.こうして,マス・メディアは人口問題を大きく取り上げ,学界や政界における論戦は拍車が加えられた.1927年7月,政府は内閣に「人口食糧問題調査会」を設置して人口問題の解決策を審議したが,その名称が示すごとく,問題は人口と食糧との関係の問題として取り上げられた.1930(昭和5)年ころから世界恐慌の波及によって,問題は人口と職業,失業問題に転換した.1930年,政府はこの調査会を廃止したが,人口問題に関する恒久的調査研究機関の必要が痛感され,調査会は政府にこれを建議して解散した.
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