特集 医療保険抜本改正
Editorial
公衆衛生と医療保険抜本改革—とくに二つの審議会の答申を中心にして
吉田 秀夫
1
1法政大学
pp.226-229
発行日 1972年4月15日
Published Date 1972/4/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401204453
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大詰めにきた医療保険の抜本改正
医療保険制度,そのなかでも中核ともいうべき政府管掌健康保険の尨大な赤字を理由とする医療保険の抜本改革が指向されてから久しい.約4年ぶりの難航でようやく強行採決成立実施をみた昭和42年8月の健保特例法そのものが,2年間の時限立法であり,そのあいだに政府は医療保険の抜本改正法案を国会に提出するという公約を果たせず,その2年目の44年8月,自民党の「国民医療対策大綱(44年6月)」をうけて作った厚生省の医療保険改革要綱案によって,社会保障制度審議会と社会保険審議会がそれぞれ審議を開始した.ところが46年7月,史上初の保険医総辞退突入という日医指令による抵抗が介入し,約1ヵ月文字通り社会不安をいろいろな形で全国各地にひき起こしながら,そのくすぶりがさめやらぬさなかに前記二つの審議会は9月,10月と相ついで懸案の答申を政府に提出公表したのである.とくに7月28日佐藤総理,斎藤厚相と武見日医会長のいわゆる妥結項目12のうち「つぎの通常国会に健康保険の抜本改正法案を提出する」とうい公約は重大である.まさに待ったなしに抜本改正案が登場するのであろうということである.
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