追悼
村山午朔先生を悼む
栗原 忠夫
1
1七沢リハビリテーションセンター
pp.157
発行日 1967年3月15日
Published Date 1967/3/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401203428
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巨星ついに落つという感がしみじみする。先生は地味な衛生行政陣営の中にあって,常に新しさと若々しい情熱を失わなかった優れたリーダーの1人であったと思う。昭和18年に衛生課長として岡山県より本県へ転じ,以後戦前,戦中および戦後を通じ衛生行政の中心にあって,戦後においては部への昇格もあり,あの混乱期に対処してその方向をあやまらず,盤石の礎を築いたことは先生の大きな功績である。仕事の辣腕家はたくさんあるが,人の上に立って人それぞれの持つ力を発揮させて,所を得させる指揮者は少ない。先生は常に部下に対して"やるだけやれ,責任は俺が持つ"といい,黙って自由に躍らせておく。仕事には折目があって,心ある者ならばその折目のところで必ず反省があるものだということを先生はよく知っていて,上司としての"たずな"はその時にこそあやつるべきであると先生は考えていたようである。だから先生の部下の中から多くの優秀な人材が生まれ,戦後の衛生行政の中で全国各県の責任者として大をなしたものも多い。
もう1つ大書しなければならないのは講話のうまさである。先生の話の基底にはヒューマンな詩情があって,理に納得すると同時に,心の中にほのぼのとした暖い余情が残るのが他人に真似のできない特徴である。
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