保健所の問題点
もっとボランチア活動を
浜口 剛一
1
1大阪府吹田保健所
pp.397-398
発行日 1963年7月15日
Published Date 1963/7/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401202693
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1.ボランチア活動
私がはじめて保健所に勤務したのは,昭和28年6月だから,今年でちょうど10年になる。それまで大学で結核を専攻していた関係から,主に結核関係の仕事を与えられ(身分は技師補であった。)2カ月程で技師に任官した。運よく公衆衛生院の1年コースに行くことができ,保健所に帰って間もなく,保健予防課長に任ぜられた。2年余りで現在の吹田保健所の所長になった。私の保健所における経歴をざっと招介したのは,いろいろな立場で保健所の仕事をしてきたし,またいろいろな立場で(保健所内から)保健所をみてきたことを理解してほしいからである。
10年前と現在の保健所をくらべてみると,変っているところは,大きく変っているが,一方では変りばえのしない点もかなりある。昭和28年といえば,講和条約が成立した後で,衛生行政全体が,予算の面においても,機構の面においても(衛生部廃止という)後退が目だってきた時代である。そうして間もなく公衆衛生の"たそがれ"が人の口にのぼってきた時代であった。このような時期に大阪においては,保健所・大学・研究所の若い医師が中心になって,他の職種の人々に呼びかけて,「大阪公衆衛生の会」が結成された。後に全国的な「公衆衛生懇話会」へと発展していったのであるが,大阪においてはこの「公衆衛生の会」に結集した人達による,ボランチア活動が公衆衛生の推進力になっていた。
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