名誉会員を訪ねて・3
及川周(まこと)先生にきく
pp.294-303
発行日 1962年5月15日
Published Date 1962/5/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401202525
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偉くならなくても死なないほうがよい
編集部 きょうはいろいろと先生の衛生学のご体験をうかがわせていただきたいのですが,まず最初に,ご卒業の頃のお話から……。
及川 私せんだつてこれを(公衆衛生第26巻第1号)拝見して,石原先生のをみましたら,ちょうど10年違うのですね。私は大正7年の12月に卒業したのです。私の1級上の東(東京都知事)や中田,都築君(外科)たちの時は,大正6年12月に卒業した。あの頃は9月から12は月まで卒業試験があったのです。12月卒業して翌年の6月から7月に卒業式があったのですが,それが私らのときから卒業式がなくなったのです。それで,私は大正7年12月に卒業(石原先生の12月卒業というのはどういうのだったのかな),だからあの時,大正7年卒業というのは2組あったのです。私らのクラス会は大八会といっているが,するとその次のクラスも大八会でつっかえてしまう。あとでお話が出ると思いますが,官路重嗣という細菌学の教授(新潟大学)がおりまして,亡くなりましたけれども,細菌学と衛生学の教室がまたいっしょの時代で,そのときよく「石原と私は同級だ」とおっしゃったので,お2人とも私の10年先輩だとい)ことを覚えているのですが……。
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