特集 公衆衛生と社会保障
綜説
セツルメント運動と公衆衛生
芦沢 正見
1
1東京大学公衆衛生学教室
pp.29-32
発行日 1958年1月15日
Published Date 1958/1/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401201920
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セツルメント運動の起りと戦争によるその断絶
「1923年かの関東大震災が我が国にもたらした影響の数々の中,社会運動と社会事業の勃興はその主たるものの二つとして挙げられる。我が帝国大学セツルメントもかかる社会趨勢の上に誕生したのであつた」。これは昭和12年刊行「東京帝国大学セツルメント十二年史」の冒頭の言葉である。学生運動としてのセツルメントはイギリスのトインビーホールを以て嚆矢とされているが,我が国では大震災後に出来た東大セツルメントがはじめであろう。セツル運動の性格を明かにするために,それが出来たいきさつを同じく十二年史によつてたどつてみよう。
関東大震災直後は東大構内にも数千の避難者が溢れ,それを救援するために学生有志からなる学生救護団がそのことに当つたが,更に上野公園に集つた1万の避難民の窮状が伝えられるや,学生の心情は末弘巌太郎教授を動かし,下谷区役所,上野警察署と交渉の末,公園内にバラツクを建て食糧の配給,情報局の創設,防疫活動等に身を以て当り,震災救援活動に大いに貢献したと記されている。
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