特集 生活改善運動の課題
実践報告・生活改善運動とともに歩んで
逆境の中で体得したもの—主として食生活について
庄司 久
pp.58-62
発行日 1955年11月15日
Published Date 1955/11/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401201619
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山形県最上郡戸沢村大字古口は,最上川が出羽丘陵に阻まれて,庄内平野に抜けるやや広い峡谷の中に左右に覆われ最上川がつくつた段丘の上に水田,中央を東から西へ最上川が流れ,支流角川,鮭川の2川を合流し,又最上川に沿つて二級国道酒田石巻線が通じ鉄道陸羽西線も併行して古口,高屋の2駅があり,舟運陸行共に交通上の枢要の地となつて発達した村である。最上川は,こ辺で幅員が240米,いつも満々と湛え従って昔からの記録に,口説に,この川の水害の過去が語り伝えられて居り,明治12年の住宅83戸の流失,昭和19年には住宅24戸の流失,続いて昭和22年には真柄堤防の欠壊,黒淵山の地辷りの記録などは惨害の新しい歴史でもある。昭和8年東北地方を襲つた冷害のため,大凶作となり,村は極度の疲弊困憊に達したが,この災禍に遭つて村民の心の裡に強い更生の気運が捲き起つたのである。そして翌9年県の経済更生の指導村として,その指導下に経済更生5カ年計画を樹立し,産業,経済,土木,衞生,教育,文化の全般に亘る振興計画が推し進められ,村内十部落の地域に亘り部落住民の総意による適応した部落更生への実践が展開されたのである。県は特に昭和9年村の中心である真柄部落を栄養模範地区として指定し,その指導下に食生活の改善,山羊飼育,色付野菜に食用油,菜種栽培,共同養鯉の奨励等を実施し,農家経営に即応した体力の向上と健康の増進に努力してきた。
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