論説
體力の文化的諸問題
浦本 政三郞
pp.187-192
発行日 1949年10月15日
Published Date 1949/10/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401200535
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健康をスタートに體格の改造へ
終戰後,生理學の立場から私の一番強く感じたことは,日本人が實に貧弱でみすぼらしく見えたことである。勿論,敗戰の結果,精神的な緊張を失つたり,衣服もみすぼらしかつたり,必迫した食料事情も影響してはいるが,それらの諸條件をさし引いて,尚且つ日本人のからだが決して立派でないということをつくづくと感じた。勿論,からだの問題は戰爭の前からあつた。昭和になつて日本の文化は次第に向上し,國力も亦強化されつつあつたようであつたが,壯丁の體格は年々低下していつた。してみると,結局それは文化として正しい在り方ではなかつたのである。私はその頃から體力を文化の問題として取りあげ,頻りに生命の文化(註1)ということを主張した。それは生物的なものが即文化的なものであるところの文化である。それがほんとうに正しい文化だという主張である。そのころ,わが國では精神主義が異常に強化されたが,身體を離れた精神などというものは,凡そ幽靈的な存在でしかない。「健康なる精神は健康なる身體に宿る」とはギリシヤ以來の文化的標語であるが,この"Mens sana in corpore sano"という言葉は,小泉丹博士も述べていられるが(註2)その正しい意味が前述の譯語に盡されてない感がある。直譯すれば「健康な身體での健康な精神」というのであつて,われわれは健康なる身體での健康なる精神以外を望まないというのが正しい意味である。
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