トピックス 水俣病認定申請者調査②
水俣病認定申請者の居住歴と健康状態
牛島 佳代
1
,
成 元哲
2
,
川北 稔
3
,
丸山 定巳
4
,
「不知火海研究プロジェクト」
5
1福岡大学医学部公衆衛生学教室
2中京大学社会学部
3愛知教育大学教育実践総合センター
4久留米工業大学工学部
5「不知火海研究プロジェクト」
pp.211-214
発行日 2006年3月1日
Published Date 2006/3/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401100263
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居住歴と魚介類の摂取量
本号では,2004年10月の水俣病関西訴訟の最高裁判決後,新たに水俣病認定申請を行った人々の居住歴や健康状態等を報告する.われわれは,1950(昭和25)年から1974(昭和49)年までを「メチル水銀曝露に対するリスク期間」と考え,その期間の居住歴や魚介類の摂取量を尋ねた.水俣病の原因物質であるメチル水銀は,アセトアルデヒド製造過程で副生されたものである.原因企業であるチッソ水俣工場がアセトアルデヒド製造を開始したのは1932年のことである.
チッソは,第二次世界大戦末期の空襲で大きな被害を受けたものの,戦後の復旧はめざましく,1955年には戦前のピークを上回る生産量を達成する.水俣病が公式に確認された1956年には,15,919トンを生産している.アセトアルデヒドの製造は1968年まで続いた.患者の発生は,当然ながらこのアセトアルデヒド生産量と関係している.患者が多発したのは1956~60年頃であるが,住民への聞き取り等によると,患者の発生は1950~74年頃まで続いたという.
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