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私は卒後40年の医師人生の中で,その大半を胸部外科医(心臓血管外科医)として研鑽して参りました.昨年3月末で大学を定年退職し,現場を離れて10ヵ月になります.時折,過去の術中シーンを思い出しますが,それは術野の場面ではなく,執刀者である自分と手術メンバーとの会話です.多くは若い助手からの私の手技に対する失敗の予告であり適切な内容なのですが,指摘された私は素直に「そうだね」と言うことができず,「何で? そんなことわかっとるよ」と反論したシーンであります.術中ですので気持ちは高揚しており,当時は心の中では「若造のくせに生意気なことを言いおって,俺をなめとるんか」と反射的に思うわけです.今となっては心臓手術のような緊張感のある生活から離れており,心のゆとりがそうさせるのか,何故,自分は素直になれなかったのだろうと,ふと心中に湧いてくることがあります.昭和時代の朝ドラ(連続テレビ小説)では,「うちのお父さんはがんこなんだから,困ったものね」などと娘と母親が陰口を家庭で囁く場面がありそうに思いますが,誰もが歳を重ね,社会的に恵まれた立場になった人ほど否定的な指摘に対して過剰な拒絶反応を示すと考えられます.私の場合,定年に近づくにつれ,若くてバリバリと思っていた自分はいつの間にか典型的な老化現象に突入しており,医局の中で「がんこ爺」を演じきっていたのだろうと恥ずかしい思いが沸々と湧いてくるのです.この「歳を重ねると否定的な指摘に対して過剰な拒絶反応を示す」という現象は高齢化社会では頻繁に現れているはずですが,社会ではあまり問題にされていません.これは病気ではありませんので薬や手術で治すことはできず,心の在り方の工夫を日常生活に醸成していくしか手がないように思えます.
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