研究の想い出
想い出の地—大宮,南通,フィリッピン
松崎 義周
1,2
1神奈川県立衛生短大
2横浜市立大学
pp.302-308
発行日 1972年12月15日
Published Date 1972/12/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.2425902942
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大宮
昭和2年4月慶大を卒業するとすぐ内務省大宮実験所へ勤務することとなつた。職名は警察医で,埼玉県大宮町(今は市)警察署勤務という辞令を頂いた。実験所は,時の大宮町隔離病舎の一部を借りたもので,いわゆる内務省式改良便所の研究所である。細菌部と寄生虫部に分れており,私は寄生虫部の主任であつた。すでに栃原勇,濃野垂両博士の二代の研究で,鉤虫卵,蛔虫卵の殺滅には本改良便所のきわめて有効なることが決定され,小生はその研究の続きを型通りに行なえばよろしいわけであつたが,さらに一歩を進めて実地試験として,近くの二ケ村の農家に研究所の費用で改良便所を作つてもらい,使用上いかなる型にすべきかの,実際面の研究をやつていた。内務省衛生局予防課長の高野六郎博士(小生学生時代慶応大学衛生学教授兼北里研究所部長であつた)が事実上の所長であり,われわれの上役として細菌部に勝俣稔,寄生虫部に内藤和行の両先生がおられた。
内藤和行さんは有名な俳句の内藤鳴雪先生の息子で,誠に応揚豁達,何よりも酒の好きな方でした。ランニング,水泳も高等学校時代は選手であり,ある時大宮にある「猫イラズ」本舗の成毛さんの邸に伺い,邸内にあるプールで競泳をやり,われわれ若人のクロールよりも内藤さんの「伸し」がはるかに速かつたことを覚えている。
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