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近所に「おくどさん」があるから見に行きませんか、とグループホームの施設長さんに誘われた。昔ながらの台所にあるかまどのことを、京都や滋賀では「おくどさん」と呼ぶ。ガスや電気で煮炊きをするようになった現在では、おくどさんを残している家はごくわずかだ。なかなかない機会なので、ご一緒させていただくことにした。オオモリさんも一緒に行きましょう、と施設長さんは声をかけた。オオモリさんは最近グループホームに入居された方で、よく話す明るい女性だ。足腰もしっかりしておられる。
「立派なおくどさんですやん」。中を見たオオモリさんは開口一番、感心してこう言った。私は、どんなおくどさんがどれくらい価値があるのか、よくは知らないけれど、そこがついこの間まで使われていたもので、凝った作りであるらしいことはあちこちからわかった。「ひとつで五升くらい炊けるかしらね」。大きな釜が3つ並べてあり、かまどの本体はタイル張りになっている。壁には、阿多古(あたご)さんの火廼要慎(ひのようじん)の御札。京都の愛宕神社はここからはけっこう遠いのだが、わざわざ御札をもらいに行かれたのだろうか。「これはどなたが使うてはんのん?」「いや、もう使っておられないんですよ」「そう、なかなかこういうのが残ってるうちは少ないよ」。そう言いながら、オオモリさんはあちこち眺めている。「これ、味噌樽ですかね?」と尋ねると、「ああ、そうよ、味噌。うちもねえ、昔は味噌は自家製だったのよ。醤油もね」と言いながら、樽の前に腰をかがめて味噌を両手でこねる手つきをする。生まれてこのかた、味噌は買うものだと思ってきた私には、決してできない手つきだ。「うちは麦味噌でねえ……。これはどなたが使うてはんのん?」「いや、それがね、オオモリさん、もう使っておられないんですよ」「そう、これは珍しいよ、立派なおくどさんですやん。煙突も立派なのが屋根に通してある」。オオモリさんの腕が、左下から右上へ、屋根に向けてぐいと突き出ている煙突の行き先を指して大きく動く。壁際に、板がいわくありげに立てかけてある。この板、なんですかね?と私がつぶやくと、施設長さんがそばから丸い棒を見つけ出した。「あ、これもしかしたら蕎麦かな?」「ああ、そうよ、蕎麦。私の父なんかも見てる前で蕎麦打ちしてくれてね」。オオモリさんは、今度は蕎麦を棒で延ばすしぐさをする。これまた、私にはまるで思いつかない所作だ。こうなったら、なんでもオオモリさんに聞いてみよう。この、白い紙に包まれた大きな丸いのはなんだろう。「あ、それは臼ね」。オオモリさんは、紙を開けずに即答した。「かまどのそばだから、ふかしたお米をついてね……。これはどなたが使うてはんのん?」「いや、オオモリさん、それがもう使っておられないんですって」。施設長さんは、同じ質問に、同じ答えを、少しずつ調子を変えながら返していく。
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