資料
日本看護学会の出題傾向の検討—昭和47,48,49年度を対象に
飯田 澄美子
pp.132-134
発行日 1977年4月15日
Published Date 1977/4/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1681200483
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1.看護学会が統合され日本看護学会として新しい出発が行われるまで
看護学とは何か,看護職種の背景になる学問は何か,など論議され,看護の機能を「学」として確立してゆくためには多くの研究がつみあげられることが必要だ,と認識されるようになったのは,昭和35年ごろ,大学に看護関係の研究室ができ,研究の取り組みがされ始めたころだと記憶している。その後,看護界で「学会」についての話題が各所で行われるようになってきたのは,昭和40年ごろからである。
看護界の指導者は,今まで行われてきた大会的色彩のつよい看護の研究学会を,日本学術会議の認める学会まで高めるために努力をしなければならないことを自覚し,また会員からの要望もあって,日本学術会議について調べたことがあった。昭和40年3月の「看護」に「日本看護学会を設置するには」として次のような記事が載せられている。「日本看護学会」として権威あるものを設置するには,文部大臣の認可を受けた法人組織の学会とすることである(民法34条の規定)。文部省が学会として認める条件として,1.専門的分野で全国的な広がりをもつ唯一の学会であること,2.会員の構成が学識経験者であること(社会通念の上での学識経験者ということで,特に定めはない)。3.学術雑誌の発行をすること,4.自主的に専門の事務員を置くこと,の4条件が定められている。
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