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はじめに
人間はいかにして学ぶのでしょうか。助産師がプロフェッショナルとして育つこと,また,その仕組みについて論じるためには,学習についての根源的な問いかけが出発点になると考えます。そこで,別稿「実践への参加と専門家養成教育」で高木光太郎さんに「学習」に関する研究動向を認知心理学の視点から紹介していただきました。ここでは,それを受けて,「助産を学ぶ」ということを正統的周辺参加論Legitimate Peripheral Participation(以下,LPPと略す)という枠組みのなかでとらえてみたいと思います。
従来,私たちは個人への知識の蓄積といった視点から学習をとらえてきました。学習の結果は個人(特に頭)に蓄積されていくと考えます。そのため,学習が上手くいかない場合には,能力のなさや勉強不足が原因ということになります。そこで,教え方の工夫によって,学習の問題をのりこえようとするのです。本稿では,このとらえ方からひとまず離れることにします。
LPPは,どのような視点から学習をとらえるのでしょう。共同体への参加のあり方の変化と,その変化と共に進行するアイデンティティ形成を学習だととらえるのでした*1。ここでの学習は,学習主体を取り巻く実践共同体と切り離して考えることができません。そのため学習主体は,実践共同体から「私たち(の仲間)」だと認めてもらう必要があります。これが,正統性ということです。正統性をもつ学習主体は,まず新参者として周辺から実践共同体に参加し,時間をかけて十全な参加者を目指します。
なかなかイメージしにくいでしょう。LPPを翻訳によってわが国に紹介した佐伯1)は,このイメージのしにくさを以下のように語ります。
これはとてつもない発想の転換であって,おそらく「新参者」にはチンプンカンプンに違いない。まず,学習は「個人の頭の中でやること」ではない,などといってもなかなかわかってもらえないだろう。しかし,これはわかっていただくしかない。自分で勉強して,自分で納得しているのだと信じて,あれこれ考えているとき,とつぜん,自分が何か価値あるものを生み出そう,作り出そうとしていたこと,しかも,それが自分だけでなく,誰かとともにそうやっていたのだ,しかもその背後に多くの人々の社会的・文化的な,また歴史的な営みがあり,そこに自分が参加しているんだということにハタと気づき,「あ,そうなんだ!」と自ら発見するに違いない。
イメージすることの困難が保障されています。ですから,少し難しいなと感じることがあっても「あ,そうなんだ!」とひらめくことを信じて一緒に学びをはじめていきましょう。
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