連載 後輩保健師に伝えたいこと・7
常に「何のためか」を考えながら―住民とともに歩んだ37年間の保健師活動
水沼 一子
1
1丸森町子育て支援室
pp.854-859
発行日 2010年9月10日
Published Date 2010/9/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1664101456
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1974(昭和49)年4月1日の面接後にすぐ辞令交付。辞令には「国保保健婦心得を命ず」と記載されていました。国立国府台病院で看護婦として1年間勤務した後,保健婦学校へ進学,そして実家のある宮城県丸森町への就職でした。
勤務地は町の母子健康センターで,「国保保健婦」6名が勤務していました。保健婦長と40代2名,50代3名のなかに,23歳の私の構成です。大先輩たちに囲まれ,何をしたらいいのかわからない日々,同年代の者はおらず話す人のいない職場,年齢の差から来る考え方の違いなどもあり,当時はいつここを辞めようかとそんなことを考えながら過ごしておりました。
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