私の提言
急がれなければならない専門職化への道
小池 明子
1
1北海道立衛生学院
pp.705-711
発行日 1972年12月25日
Published Date 1972/12/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663906636
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はじめに
‘看護は科学(Science)であり,芸術(Art)であり,職業(Profession)である’というキャッチフレーズで米国占領軍の看護指導者たちは第2次世界大戦後の日本の看護界を魅了し,その教育指導は全国津々浦々の病院にいたるまで波及した.
もちろん,占領軍という姿勢が教育とはほど遠い半強制的であり,外観的体裁の指導に終わったことはやむをえないことであった.幸い看護指導者には人を得たというか,看護のあるべき姿,すなわち,‘患者の看護は看護婦の手で’ということを認識させてもらった功績は大きい.しかし,それはあくまでも短期間における占領政策下における啓蒙にすぎなかった.
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