看護学校のあゆみ 京都大学医学部附属看護学校・2
諸心得のこと
荒木 操
1
1京都大学医学部附属看護学校
pp.63-68
発行日 1966年5月1日
Published Date 1966/5/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663905629
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看護婦見習の教育
明治34年4月に定められた看護長服務心得のなかに,看護婦見習の教授を担当すること,看護長2名以上おくときは監督の事項をわかち,主として品行上に関するものと,主として技術上に関するものとに分担された。
明治32年,開院当時初代看護長として迎えられたのは不破ユウ先生で,先生は熊本県の出身。京都同志社看護婦学校第1回の卒業生であり,西寮の舎監兼務であった。1日1回必ず各科を一通り巡回されて,勤務員の状況を視察された不破先生は,東京北里柴三郎先生の従妹にあたる方である。明治32年から大正4年まで在職されてよく看護婦の指導をされた。職員からもよく尊敬された立派な方であった。退職後昭和10年1月16日に御逝去された。御墓所は同志社新島襄先生と同所,若王寺山林を登り岡の上に眠っておられるので,時折お参りをさせていただきました,と語ってくださるのは当講習所第6回卒業生,明治35年4月1日入学,翌明治36年5月7日卒業の高橋ミチ先生で(明治11年12月28日生),現在も近くにお住居なので,学校のあゆみをつづるについても,いろいろとご指導をいただいている。
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