特集 市町村長と語ろう
[対談]“市民の声が届くところにある市政”と秋田市の保健婦活動
石川 錬治郎
1
,
池田 信子
2
1秋川市
2秋川市福祉保健部健康増進課
pp.427-434
発行日 1995年6月10日
Published Date 1995/6/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662902756
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市民生活の最先端で働く保健婦を尊敬している
石川 最初に,僕の経歴などを自己紹介しますが,僕は農村問題の研究者だったんです。東大農学部の大学院を出てから,昭和40年にできた山村振興法について,山村での問題を調査研究して対策を立てるために設けられた財団法人の山村振興調査会で4年位働いた。そのの仕事は,1300町村ほどある山村の総合的な問題の調査で,たとえば医療の分野や無医地区の問題とか,農林業について調査し,レポートをみんなでまとめること。個別の問題だけでなくて,特別の項目を設定して報告書もまとめたわけです。たとえば保健医療では,岩手の沢内村の深沢村長が,乳幼児死亡率を全国一からゼロにしたという実績を,「生命行政の村からの報告」としてまとめたし,調査班を編成するとき,必ず医療・保健の専門家を入れて,保健・医療部門を調査するなど,農村問題の調査研究をやっていた頃から,医療・保健の部分は相当興味と関心をもっていた。
山村振興調査会に4年いてから,千葉大学園芸学部の農業経済学科に10年位勤めた後,学者の道をあきらめて,政治のどろ沼の道に入ったわけね(笑)。そして秋田地方から社会党公認候補で参議院選挙に2回,秋田市長選挙に1回出馬してだめと3連敗後,秋田市長になった。1994年の5月に再選されて,いま2期5年目です。国立大学の教員で市長になったのは全国に2人しかいないんです,町村も含めて。東京都の東久留米市長の,東大の教授だった稲葉先生と僕の2人だけ。首長としては少し変わった経歴かもしれない。
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