発言席
自殺率日本一に挑んで
古曽志 恵洪
1
1島根いのちの電話
pp.741
発行日 1985年9月10日
Published Date 1985/9/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662207049
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私の35年余にわたる相談員の生活のなかで保健婦さん方と机を並べて働いたのは,保健所に在職していた10年間である。
私は昭和40年,精神衛生法の一部改正によってはじめて保健所に置かれることになった精神衛生相談員の第1号として赴任した。それまでの16年間は児童福祉法と共に歩いてきた。当時,心理判定課長でもあり,しかも年齢50歳近くにもなっていまさらと,保健婦たちは奇異の目で私を迎えてくれた。当時の保健所には精神衛生に関する資料が乏しく,どこから手をつけてよいか迷うばかりであったが,一方自分の好きなようにできる魅力もあった。
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