特集 "共に生きる"を実践して
ボランティア保健婦の大きな足跡
愛知県刈谷地区での障害児と保健婦
障害児を守る会の歩み
久米 正枝
1
1刈谷地区心身障害児を守る会
pp.326-336
発行日 1982年5月10日
Published Date 1982/5/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662206506
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Y君のことがきっかけで200円貯金を開始
刈谷保健所の伊藤寿美ゑ保健婦が,未熟児Y君(生後40日)に初めて会ったのは,昭和35年のことであった。Y君は生後半年過ぎ,1年経っても這うことも,しゃべることもできなかった。しかも,視力もない重症児,加えて家庭は貧困,この子を置いて働き出した母を責めて済むことではなかった。伊藤保健婦は,この子こそぜひとも適当な施設での療育が必要と考え,東京の島田療育園に小林提樹先生をたずねて相談した。
しかし,当時入所はとうてい望めず,昭和38年開園予定のびわこ学園にお願いするよう勧められた保健婦は,びわこ学園の岡崎園長に再三依頼の手紙を書き送ったりした。そして,びわこ学園が開園したある日,保健婦は休暇をとって,Y君を背負い,おむつと哺乳びんを持ってびわこ学園を訪れ,入所を懇願した。そして翌39年4月入園を許可されたのである。
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