特集 北海道開拓保健婦の足跡
住民と共に生き,共に働き……
思い出
十勝岳噴火の蔭で—熊害の日々
鈴木 恵子
1
1江別保健所
pp.27-29
発行日 1982年1月10日
Published Date 1982/1/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662206461
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
十勝岳が大爆発を起こした昭和38年のことです。十勝岳から何10キロも離れた広大な根釧原野の一角で,オホーツク海に臨み,国後島が指呼の間にあり,北と西に知床の山脈が遙かに続き,ちょうど山懐に抱かれた貧しいけれども平和な地域が,私の駐在する開拓地でした。
ですから,あのような恐ろしい熊害におびえる日が続こうとは夢にも考えませんでした。不毛といわれた湿原地に開拓の鍬を入れ,やっと酪農による生活設計へのめどを立てたばかりの人達にとって,このことは生命と生活を脅やかされることでした。学童の登下校も危険となり,町では自衛隊に要請して車で送り迎えするほどでした。熊害対策本部を設置し自衛隊や自警団により厳重に警戒され守られました。にもかかわらずおおげさな表現かもしれませんが,毎日どこかで熊が撃たれているのに,毎日どこかで牛の被害が絶えませんでした。もともと緊急開拓法によって,人の住んでいない原野に人を入植させたのです。人の住んでいない所というのは人が住むに適していない所なのですから,当然のことなのかもしれません。
Copyright © 1982, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.