ニュース診断
革新政権への道険し
久米 茂
1
1深夜通信
pp.542
発行日 1973年7月10日
Published Date 1973/7/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662205332
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保守政治退潮のとき,代わって革新勢力の昂揚,とりわけ共産党の進出によって"自共対決"は時間の問題――というふうにいわれだしたのは,たしか佐藤内閣のころからであった。そして田中内閣になってからもこの声は消えることがなかった。昨年暮れの総選挙,今年にはいって名古屋,大阪などで行なわれた選挙の結果は,その機運を一歩一歩たしかなものにしていくかにだれの目にも見えた。一方これとウラハラにいわゆる中間政党の停滞もしくは落ち込みが表出された。とくに参院大阪補選の結果はこのことをハッキリ裏づけた観がした。
周知のとおりこの選挙では,共産党候補—しかも新人で婦人候補—が圧勝した。自民党と政府はこの選挙の重大さをどの党よりもきびしく受けとめて,"共産党が勝てば自由社会が危ない"という危機意識のもとに人と物量のすべてを投じた。自民党としては来年の参院選の試金石ということだけでなく,広範な国民批判をハネ返さねばならないという当面の課題に立ち向かう必要があったからである。一方共産党は,体制の変革という党自身の本質使命を表に出さずに,"民主・平和・中立"の進路と,そのための"民主連合政府"の樹立をかかげて全力をあげた。つまり政権を担う政党としての信を問うたのである。長年の地道な運動と堅固な組織力と政策闘争の経験などがそれを裏打ちしていた。この点で社会党は立ちおくれた。
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