読者からの手紙
子どもたちに学校給食を
合田 浩子
pp.9
発行日 1964年11月10日
Published Date 1964/11/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662203238
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某日,町教委から通達がはいりました.その文書を開いてみると「児童生徒の栄養状態調査」として,現在政府が派遣している有沢広己氏を団長とする石炭鉱業調査団の本道産炭地域調査の一環として,欠食者数および各昼食栄養状態者数報告の照会でした.
ここ阿寒町は,給食実施校が小,中18校中たった1校で,布伏内(ふぶしない)小学校もまだ給食はありませんでした.阿寒湖畔および周辺の農業地帯の学校を除くと,阿寒町は雄別(ゆうべつ)炭鉱の炭鉱地帯で,布伏内地区はそこに働く職員,工員,組夫の炭住地帯といえましょう.石炭の黒を象徴するように黒い屋根の長屋が整然と,それゆえに1種のおも苦しさをひめてつづいて,わずか共同簡易水道,共同無料浴場などの設備に救われた気持ちになる所です.テレビその他電気器具が生活水準のめやすになりません.特に炭住地帯のお互いに対する競争心,見栄のため数字的にはだせないのです.生命と交換しかねぬ炭鉱のぎりぎりな労働に対する賃金が平均3〜4万円ということ,それも合理化,ビルド鉱変換によって出炭量をあげ,新しい鉱脈をさぐる余裕をみせた最近の数字らしいので,時々の出炭量によって,その賃金も上下があるわけです.そうした中で公傷(ばく死,埋死,機械死)により大黒柱を失った家庭では母親が同じ炭鉱に出てゆきます.
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