コンタクトレンズ(47)
癌の人
長谷川 泉
pp.29
発行日 1964年2月10日
Published Date 1964/2/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662203036
- 有料閲覧
- 文献概要
癌研の病院長だった田崎勇三博士と,国立癌センターの総長田宮猛雄博士が,いずれも癌で世を去られたことは,一般の人たちにとっては本年における大きなショックであった.今では,その記憶もかなり薄れて来てはいるが,田崎博士の場合は,癌学会で問題になった癌の特効薬の鼻クソ談義と結びついてジヤーナリズムに浮かびあがることがあった.かなりはで好きで,ジヤーナリズムにも活躍していた田崎博士のことであるから,田崎博士なきあとの癌研がどうなるかということをとり扱った週刊誌もあった.新病院の建設を見ずに田崎博士は逝いたわけだが,新施設の癌研病院はすでに開院して,黒川新病院長のもとで堅実な活動が開始されている.目下の医療体系のもとでは,どの病院とても経営は苦しい実情にあるものと思われ,癌研新病院とてもその例外ではあり得なかろう.東北大学の名総長であった黒川新院長に期待されるところ大きく,今世紀の課題である癌の克服は,基礎的研究の進展と相まって,癌にたずさわる医人の悲願のようなものである.
田宮博士については「日本医師会雑誌」第50巻第7号に載った「田宮猛雄先生を偲んで」の座談会が,その人柄,業績,家庭での人間性を含めて最も強く人の心を打つ文であった.出席者は国立癌センターから久留院長,中原研究所長,東大から豊川,山本,勝沼教授,予研北岡部長,虎の門病院沖中院長,教育大杉教授,武見目医会長といった顔ぶれである.
Copyright © 1964, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.