随想
お母さん
植田 信子
1
1高知県中村保健所大方町白田川地区
pp.51-52
発行日 1962年3月10日
Published Date 1962/3/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662202532
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友達2人は泣いていた.お世話になつた先生や母の顔が窓から消えて遠ざかる高知の町を眺めながら,これから赴任して行く幡多郡,陸の孤島といわれる中村はどんなところであろうかと私の胸は希望と不安におののいていた.病院で若干の年月看護婦として親のそばを離れてはいたけれど両親のいる高知を離れるのははじめてであつた.汽車から降りると小さいバスに乗つてちようど県庁から出張される中川さんにつれられ幡多の難所といわれる久礼坂,片坂を過ぎると青々と澄んだ広い空と真白いしぶきをあげてくだけ散る波の続く海岸に出た.このあたりから特徴のある高知弁はだんだんきかれなくなり,いわゆる幡多弁が多くなりだしたことも興味があつた.中村とはどんなところだろうか,私はどんな村へ駐在するのだろうか,もしかしたら今通つているところかも知れない.ここはもう幡多なのだから…駐在したときのためにもよく外を眺めておこう?.海はどこまでも青く海岸はどこまでも続く.海岸が過ぎると黄金の稲の続く田のなかを通つてバスは夕方,ようやく中村についた.その夜,おそく夕飯の支度をするために開けた私のリュックサックのなかに枯れた松葉と消炭と木炭が新聞にくるんでいれてあつた.
「何も田舎に行くのに焚つけまで入れんでも良いのに,えらい重いと思うた」
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