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みんな幸せに
宮 一枝
1
1国立療養所村松晴嵐荘
pp.49
発行日 1955年1月10日
Published Date 1955/1/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662200883
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主人の発病は昭和24年6月でした.それから1年間は保健所へ気胸に通つておりました.翌年夏入院して,つい最近退院するまで5年間の鬪病生活でした.私は25年2月流行したイタリヤ風邪とかで1週間ほど29.5℃の熱が続き主人とマクラを並べたその頃,写眞で初めて陰があるといわれましたけれど別に何の治療もせず時々レ写眞を撮るだけで去る4日入莊するまで健康人並の生活をしておりました.25年5月には全国的なあの首切の大嵐で,私は子供を脊負つて社宅の奧さん達とよく団体交渉の応援に出かけたり,寢ている主人もずい分,気をもんだものでした.その頃主人はカツ血,退職金をあてにして入院したのでした.子供を近所に頼み自転車で病院通い自覚症状がないので自分の病気等忘れている時の方が多かつた樣です.生活保護を受ける樣になつてからは子供達を保育所にお願いして内職も次々にやつて見ました.主人発病当時長男は2才,次女がやつと8カ月でどちらもせわしく長女はすでに前年亡くしましたが今思えば結婚以来あわただしく過してしまいました.不幸中の幸は私の病状が比較的動かなかつたことと,私が明るい性格のせいか子供達も暗いかげもなく育つてくれたことでした.それと私は自分を信じ夫を信じ人の善意を信じ,早く両親に死なれ結婚まで親戚で過した私に常に多くの人達の温い心ずかいのお蔭で,大がいのことは苦労とも思わず暮せたことでした.
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