--------------------
保健婦部會総会の印象
pp.37-40
発行日 1953年8月10日
Published Date 1953/8/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662200573
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
日本看護協會か産婆看護婦保健婦協会という名前で昭和21年に生れて翌々年の23年,總会が京都で開かれてから,今年は丁度5年目,関西で開かれた再度の機会である.大阪の会員の方々の誠意のあふれたお世話ぶりはなれつこになつている東京の会員たちには何か反省を強く感じさせられたであろう.
保健婦部会総会の開かれた朝日会館はその昔の日本保健婦協会の誕生を誘導された社會保健婦大会の場所である。今から3年前の昭和15年の2月,大阪朝日新聞社会事業団(現在の厚生事業団)の主催で,農村の保健婦,保健所の保健婦が一堂に会して就会に向つてはじめて聲をあげた所である.何の組織ももたなかつた我々保健婦が組織の必要を痛感した大切な機会であつて,社會事業団は全くの親心でこれを促進するために,翌16年に第2回社会保健婦大會を同じ今日のこの場所で開かれたのである.その年の秋日本保健婦協會が当時の社会の脚光を浴びて白金台町の公衆衞生院で結成式をあげたのは今なお記憶あらたなものがある.
Copyright © 1953, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.