プロフィル
—金子はる—戦場では日赤の人と同じように働いたのに—年金獲得運動に取り組む元陸海軍従軍看護婦の会会長
吉
pp.993
発行日 1979年9月1日
Published Date 1979/9/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661918778
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開業医に勤務していたころ、母親が亡くなったため母親代わりに家庭に入っていたが、ちょうどそのころは太平洋戦争に突入した時期で、世の中は戦時色一色。「看護婦の資格がありながら家庭にいるとは非国民だと言われそうな雰囲気だったし、戦傷病者の看護婦が不足していると言われ、宇都宮の陸軍病院に勤めました」
勤務当初は外地に行くなどとは思いもしなかったが、勤務して一年後にインドネシアのスマトラ島メダンの第十陸軍病院に転属させられた。そこでは分院を沢山作ったが、その分院をいくつもめぐりながら、飢えをしのぎ、伝染病と闘いながら汗みどろになって働いた。そこではもちろん日赤の看護婦と全く同じように働いた。「制服も制帽も同じ、襟章だけが違ってました」
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