プロフィル
—藤原美幸—だれも知らない所で自分を考えてみたかった—ブエノスアイレスの日系診療所で看護婦として働く
吉
pp.881
発行日 1979年8月1日
Published Date 1979/8/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661918754
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ブラジルへの日本人移民は歴史もあり、移民者の数も多く、よく知られているが、同じ南米のアルゼンチンにも日系人は少ないながらおり(現在三万人)、それぞれの分野で活躍している。日本との結びつきは今でもあまり強いとはいえないが、昭和四十九年に日本とアルゼンチンの医療協力の話が出てから、国際協力事業団が仲介となって日本から医療関係者が調査などに出かけていた。そうした動きの中で、現地から、一世は日本語しか分からない人がおり、日本語が話せる看護婦がほしいという声が上がって、日本人会からの要請という形で渡航し、ブエノスアイレス市のニッカイ共済会健診センターへ赴任。
医療協力というとアルゼンチンの医療水準のレベルアップのためと思うが、なぜ日系診療所に?「最初は日本の進んでいる医療器械を使って経済的に自立し、ゆくゆくは日本病院を作ってアルゼンチン全体のレベルアップをと考えているんです。アルゼンチンは移民の国ですから、各国の民族病院があるんですね。それらの病院はとても立派です」
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