特集 体験を整理する試みのなかで
2度目の患者との出会い—精神科看護から一般科看護の再検討の試み
里中 ヨオ子
1
,
野田 正彰
2
1奈良県立医科大学附属病院精神科病棟
2奈良県立医科大学神経精神科教室
pp.1099-1116
発行日 1977年11月1日
Published Date 1977/11/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661918254
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Ⅰ.身体科の看護を振り返って
‘患者中心の看護’‘看護の専門性’‘専門ナース’あるいは‘看護学の確立’などの主張を聞くようになって久しい.私が看護教育をうけ,看護婦として働いてきたこの18年は,これまでの①身体の看護,疾病中心の看護,医療介助,手順中心の看護から,②公衆衛生学の発展や,臓器別の医学から全身の医学(例えば代謝疾患の研究,免疫学の進歩など)への医学上の認識の広がりに影響されて,‘包括的看護’が言われるようになり,さらに③医学に対して相対的に独自性を有するものとしての“看護学”の確立が,強調されるようになった.
しかし私自身が大学病院で歩んできた道は,外科系(外科・泌尿器科,放射線科,整形外科),内科,小児科,皮膚科,再び内科と各科を回り,各科別の看護手順を覚え,科別の技術に習熟し,そのうえで次第に管理的機能を身につけていく過程でしかなかったように思える.それではいけないと不満を持ちながら,一方では,私たちの現実とはどこか掛け離れた“看護学”に抵抗をおぼえていた.これまで言われてきた‘患者中心の看護’とは,なんであろうか.私はもし私が病気になったとき,そのように看てほしくないという何かを感じてきた.看護婦によって綿密に立てられた看護計画の中に患者をはめ込み,私たちの意のままに展開してゆく看護,そのような堅さをどこかに感じていた.もちろん医療介助の上手さをもって,満足するわけにもいかない.
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