連載 ルポ・天主堂のそびえる島“黒島”〈最終回〉
船を動かすより島を動かせ
木島 昻
1
1小児科
pp.84-86
発行日 1968年6月1日
Published Date 1968/6/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661917496
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
島の象徴
天主堂—黒島の象徴は島の高台にそびえ立つ天主堂である。明治11年といえば,長崎・大浦天主堂のキリシタン復活があってから13年め。早くもちっぽけなこの島にも天主堂が建てられた。信者の喜びの凝集である。その後,明治33年から2年がかりで信者の労力奉仕と当時のお金で2万5千円の巨費を集めて,今日の,島で一番立派な建てものに改造された。日曜日の礼拝には高台に向かって島民の列がつづく。かつて,ナースの立石さんが,医師不在の1年間の診療所を守った時のこと,「日曜日も休まれんとでした。しかし,病人を助けるためにお参りできんとでしたから,神様も許してくださる,とそう思っちょりました」の述懐に実感が湧く。信者85%の島民は,朝な夕な十字架の塔を仰いでは信仰をあつくし,アンジェラスの鐘に生活の日課を刻んでいる。
女部屋—天主堂が黒島の象徴なら,信者の実践の中心は俗に女部屋と呼ばれるこの“在俗修道会”である。北海道の修道院と同様に純粋で,貞潔・清貧・祈祷・瞑想・労働の誓いを立てた28人の島民の修道女が生活している。“在俗”というのは,世間から隔絶されているのではなく,社会の中にあって普通人と同じく働いて生活の糧を得るいわば自給自足の共同生活の修道院という意味である。
Copyright © 1968, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.