看護風土記
愛知
澄川 初子
1
,
編集室
1名古屋市立東市民病院
pp.413
発行日 1972年3月1日
Published Date 1972/3/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661916280
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愛知県は地理的にわが国のほぼ中央に位置し,濃尾平野を背景に‘名古屋’の語源ともいわれる風土の豊かな和やかな土地である.瀬戸・常滑の焼き物,一宮・津島を中心とする紡織,渥美半島の美しい花々,濃尾平野からの農産物などが有名である.戦後は産業・経済に力を入れ,伊勢湾周辺を埋め立ててできた東海市を中心とする重工業,トヨタをはじめとする軽工業の製品が,伊勢湾・三河湾からの海の道,100メートル道路など美しく区画された陸の道から運ばれるなど,中部最大の工業県として躍進している.
戦国のその昔,天下を統一した三英傑,信長・秀吉・家康を生み,近世日本への扉を開いた.また金の鯱輝く名古屋城は,清正の築城からおよそ360年,歴史と伝統のうえに築かれた文化県でもある.医療体制では,病院354,診療所2920施設で,看護婦の養成はこの医療施設の割り合いからみて多い.しかし看護婦の不足度は高く,看護婦養成県の感すらある.ちなみに看護婦学校・養成所数は大学1,短大1を含む31校,准看護婦学校は高校3を含む25校である.46年の卒業生は看護婦585,准看護婦2100名であった.これを45年末の従業者届からみて医療法で算出すると4126名の不足で,充足率は77%となっている.またニッパチの計算では6300名ほどの不足となり,養成数に対しあまりにも不足の度が高い.当面この定着対策が私たちに与えられた課題で,この道はきびしく,けわしい.
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