ニッパチ闘争その後
あれから1年3か月
横山 広
1
1新潟県職員労働組合医療部
pp.87-90
発行日 1969年9月1日
Published Date 1969/9/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661914613
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昨年の3月,全国ではじめての,「夜勤協定」を結んでから1年3か月がすぎた。この期間,全国の職場で働いている看護婦や医療労働者にとって,袋小路から解決の道をめざすたたかいの期間であったといえる。それはいまも全国へひろがり,今日の危機を招いた,責任者である政府をして,曲りなりにも「改善へ」のポーズをとらせようとしている。
医療や看護をめぐる歴史のうえで,このようなことがあったであろうか。それが,単なる賃金や労働条件のあらそいではなく,看護の本質をめぐるたたかいであるだけに,その突破口の位置に立った私たちにとって“感動”の2字だけであらわせぬものがある。同時に,それは突破口を切り拓いたものへの責任としてはねかえってくる。
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