日本看護史の旅・15
仙台藩医学校あと(仙台)
石原 明
1
1横浜市立大
pp.1
発行日 1967年3月1日
Published Date 1967/3/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661913057
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62万石伊達氏の城下町仙台は東北文化の中心である。仙台藩では1736年に学校が開設され,1760年には勾当台(こうとうだい)に移築され,ついで養賢堂とよばれ,儒・国・医の3科が講ぜられた。この建物は明治になって県庁に使用され史跡として残っていたが,戦災で全焼しわずかに庭園の一部がおもかげを残すにすぎない。いま県立図書館の建っている場所が養賢堂あとである。
1817年に医学部門だけ養賢堂から分離して百騎丁(いまの東2番丁)に移転,仙台藩医学校が名実ともに独立した。さらに1822年には侍医渡辺道可の建議によって西洋医学が採用され,仙台蘭学のもとをなした。これが現在の東北大学医学部の前身で,医学校は施薬所と文庫を付設し臨床実習も行なっていた。この場所も明治になってから軍事施設となり,現在は税務署に変わっている。
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