想園
ベビー室での思い
伏見 正子
1
1北海道大学医学部付属看護学校
pp.70-71
発行日 1964年10月1日
Published Date 1964/10/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661912412
- 有料閲覧
- 文献概要
「○○ちやん」と名を呼んでも顔の筋肉一つ動かさない女の子。2歳にもなるというのにハイハイもできないのだ。両親が買ってくれた大きな人形やたくさんのオモチャがうず高く積まれている中で,その子にはただひとつガラガラしか興味がない。あとのものはそこでほこりを被っているだけ。そして笑うということを知らない。いつも目をうつろに開けてベビーサークルの中に寝ている。というより私にはころがっている。置かれているという気がしてたまらない。この子の他に種々の異常をもった子が,それぞれのサークルの中で一日中たいくつもせずに無表情のままねている。
ここは小児科のベビー室。私は朝ここに入って行くといつもながらじつに複雑な思いにかられる。こんな子らが体だけは人並みとまでは行かなくても,成長して行ったとして,自分が人間であるということ,生きているということ,それを感じつつ生きて行くことができるのだろうか。自分が生命ある一個の肉体であるということも知ることができずに生命を保って行かなくてはならないのだろうか。これが人間の姿といえるだろうか。私は叫びたくさえなる。一体これは誰の責任なのだと,否何の責任なのだと。この子らに責任などのあろうはずはない。これは責任の所在など求めるべき性質のものではないのであろうか。もし何かに責任があったとして,その所在がわかったとして,どうにもなるものではないのだから。
Copyright © 1964, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.