海外の看護
大西洋をはさんで—アメリカとヨーロッパの比較
倉田 正一
1
1慶応義塾大学医学部病院管理学教室
pp.56-59
発行日 1963年10月1日
Published Date 1963/10/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661912040
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学校命令で病院管理視察の旅に羽田を飛び立ったのは,照り返しで目のくらむような夏の午後でした。2,3寄道をしてやれやれと腰を落着けたのはアメリカのピッツバーク大学公衆衛生学部。7年前の級友たちや知人に囲まれ,勝手知ったるメヂカルセンター内での生活は時のたつのを忘れさせました。ここの病院管理学教室のSheps教授は元政府機関におられたその道のベテランで,現大統領のブレーンとして活躍している人。教室員の指導も旅行先からという目まぐるしい活動で,ライオンのように吼えながらの御活躍でした。
さてニューヨークを後に,ヨーロッパにはいったのはクリスマス前でしたが,ここから私の苦労が始まりました。例年にない寒波の襲来などは物の数ではありませんが,とくにスェーデン,ノールウェイ,ドイツ,イタリー,フランスではまったく困惑の態でした。理由はことばです。私の唯一の英語が通じないのです。ストックホルムでバー(一杯飲屋ではありません。軽食堂です)にはいってサンドウィッチを注文してもわからないのです。ハンブルグで時間があまったので或病院へ電話で見学申し込みをしたら,患者と間違えられました。友好的な院長さんは英語がわかるというセクレタリーを呼んでくれ,さらに若いドクターをわざわざ呼び出してくれましたがダメ。イタリーではついに留学生に通訳してもらう仕末。
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