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一県福祉国家なるか—岡山県の福祉計画をめぐって
水野 肇
pp.16-24
発行日 1963年6月1日
Published Date 1963/6/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661911946
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無から有を生じる手品
「瀬戸内海に水深16mという港を掘って,その土で瀬戸内海を埋め立てる。そこに工業基地をつくって,新しい都市づくりをして,そこを中心にしてできた産業の増大を県民の福祉に投入する」—こういうとまるで“現代のユートピア”のようにも聞こえるが,現実にいま着々とこれが実現しつつある県がある。災害がなく,気候温暖で,白桃やマスカット,あるいはタイで有名な岡山県がそれだ—。農業県から工業県への飛躍を推進しているのは,桃太郎知事の異名をちょうだいしている三木行治知事だ。三木知事はお医者さん知事という変わりダネではあるが,この構想をえがきはじめたのは昭和27年ごろからだ。賀川豊彦の教えを受けた三木さんの政治の柱は「産業の増大と社会保障の確立」の二本で,そのためには,大工業基地の造成と県民福祉計画の確立という“10年構想”を考えていた。当時(27年ごろ)ようやくさかんになりはじめた企業誘致に着目した三木さんは,ただ単に在来の空地に工場を持ってきても限度があるので,新しい土地造成の必要を痛感した。当時は世界第2の堤防締切工事として注目された児島湖の締切がようやく完成の見通しのついた時期。ソ連ではベーリング海峡の埋め立てが構想としてではじめたころだった。三木さんは,日本であいている土地?は瀬戸内海だけと考え,瀬戸内工業地帯造成地として倉敷市水島港に白羽の矢を立てた。当時水島港は水深2m,ひなびた漁港だった。
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