随筆
神の前の裸身
椎名 麟三
pp.45
発行日 1962年7月15日
Published Date 1962/7/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661911683
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私は,運び込まれた医院のベッドの上で身動きができなかった。当時私は,関西で交通労働者として共産党の運動に加わり,二年間ほど牢獄生活を送ってから,執行猶予となるなり,上京して来ていたのである。私がまちがっていましたという転向上申書を書いたおかげで,懲役三年執行猶予五年ということで,刑務所の裏門から放り出されたからだが,上京して来たといっても何のあてもなかったのだ。で,田町の近くにある運送店の店先にはってあった店員募集の貼紙の眼についたのを幸いに,前身をかくしてその店へ住込んだのである。だが,店員といっても,自転車にリァカーをつけて荷物を配達するのが仕事だった。だが,地理になれない田舎者の私は,しかも銀座の真中でバスと接触事故を起して,バスに何十メートルも引きずられるという事故を起してしまったのである。
看護婦さんは,20をすぎたばかりのようだった。彼女は,私から上衣やシャツをはぎとっていった。お医者さんが裸にして見ろと命じたからだった。私は,長い間の牢獄生活のせいだけでなく,もともと貧弱な身体をしている。しかし転向上申書を書いたということだけでなく,私は自分を支える精神的な根拠を失ってしまっていて,上京する前におかしな自殺の真似さえしていたのだから,自分のみじめな裸姿を恐れはしなかった。しかもそれがまがうことのない私の現実でもあったからである。
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