教養講座 小説の話・36
危険な時代の危険な小説
原 誠
pp.64-66
発行日 1960年4月15日
Published Date 1960/4/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661911084
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むかし—と云つてもそれは明治か大正の頃のことですが,当時,多くの人たちは小説家という人種を世間一般の人とはちがう,気むずかしい,へんくつな,或いは実生活のうえでダラシのない破滅型の人間のように考えていたものらしいのです。事実,そういうタイプの人が小説家のなかには多かつたでしようし,また今でもそういつた作家がいないわけではありません。明治のはじめ,長谷川辰之助というサムライのような名前をもつた男がおりました。いかにも,彼の父親は尾張藩士でしたから,刀を捨てチョンマゲを截つたとはいえサムライの血のなかに生をうけたわけですが,その彼が小説—当時,「小説」という言葉はま新らしく,普通は「戯作」(げさく)と呼んでいました—を書こうとしたら父親にひどく反対され,お前みたいなやつはクタバツテシマエと怒鳴りつけられたそうです。それでも長谷川辰之助は,小説を書きました。ペンネームをつかつて発表したのですが,その名が二葉亭四迷。クタバツテシマエをもじつてフタバテイシメイという名にしたのだという,落しばなしのような伝説がのこされております。武士の血をうけて明治の御時世に生れた男子が,小説家になるなど,なんとなさけないことかと彼の父親は嘆きもし腹も立てたというわけです。あるいは,これは父親の叱責ではなくて,長谷川辰之助自身の自嘲の声だつたのかもしれません。
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