Student's page
慈恵会医科大学附属高等看護学院
佐藤 富久枝
,
久保山 令子
,
上原 勝代
,
原山 智子
,
押野 てる子
pp.38-44
発行日 1957年8月15日
Published Date 1957/8/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661910407
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
最初に
明治8年海軍々医少監でいらした高木兼寛先生は,ロンドンのセント・トーマス病院医学校に入り医学を研鑚しておられる傍,施療病院医学校,看護婦学校等を視察し,社会改革上我が国に於ても,この実施の急務を思われ,明治13年11月帰朝後,同志20数名と共に,目的達成に努力なされたのです。
明治14年11月,当時東京府の非病院の跡に現在の私共の病院の前身が建ち,施療診療をはじめられたのです。同17年7月英人看護婦ミス・リチヤードを取締りとし,君護婦教育所が創設されました。
Copyright © 1957, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.