連載 A子とともに(コント)・7
ミシン物語
關口 修
pp.57-59
発行日 1952年7月15日
Published Date 1952/7/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661907102
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5グラムの飴は,いくら伸ばしても10グラムにはならない。しかし2メートルしか跳べない地上は,踏切りが良ければ4メートル跳ぶことが出來る。ハーブで彈くバスエーの「浪の戲れ」のようにやさしく響く,看護婦室のミシンのリズムは,明らかにそれを物語つている。
(死なない病人を死なせないようにするのが名醫であり,死ぬ病人を活かすのは神である)—入澤博士はこう云われた,と院長の話を聽いたとき,それならば,死ぬ病人を活かそうと努力する看護婦は,神に近いものだとA子は思つた。看護婦は勤務の解かれた時だけしか社會と交渉はない。勤務中は(燈を捧ぐる婦人)であり,神の使途である。そしてまた,急流に逆らつてわき目もふらず泳ぐ鮎の信念でなければならない。しかし明け暮れ,身に觸れるものは,少しの刺戟にも驚く秋の蚊に似た患者の表情であり,耳うつものは,眠りの足りなし呻きのソプラノである。だから白衣を脱いだとき,乙女達の求めるものはジヤズのハーモニーであり,フイルムへの陶醉であり,ひいては放縦となり誘惑の誕生となる。無理もない—が,これではいけない。生活の改善と生活樣式の向上—いずれは家庭の人となる乙女達である。幾分なりとも勤務の夜のひとときを有意義に愉しく過せたら…………
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