発行日 1948年4月15日
Published Date 1948/4/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661906311
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聖路加病院で始めて保健婦事業が始められたのは大正の末から昭和の始め頃だつたと記憶してゐるから,もう,ふた昔前のことになる。あのころの話によく出てくるのは,門前拂ひを喰つた話,居留守を使はれた話,「保險は加入してます」からと保險屋と間違へられた話,折角家の中へ上がつたがさんざん御主人にからわれて泣いた話等々なかなかに保健婦事業開拓者の或種の誇りを含む話題であつた。何となくやつてみようと云ふ若い者の冒險心も手傳つてこの道に進む樣になつたのも或ひは此等の話が影響したのかも知れない。當時恐らく日本中で始めての,しかもたつた一つの施設であつた,保健婦教育機関であつた聖路加女子専門學校研究科へ本科を卒業するとすぐに第1囘生として入學した。在學中の思出は今尚私の心を豐かにする數々のものがある。教へこまれた保健婦制服の誇りを守るためにあらゆる努力をしたのも樂しい思ひ出である。あれ程敬遠された聖路加の保健婦も私が學校を出る頃は病院のある地區の人々からはだんだんと親しまれ,着なれた制服で道を歩くと「聖ルカさん」とか「看護婦さん」とか云ふ名稱でわざわざ家の中へ招かれ病人の相談やとんだ應急處置などさせられるようにさへなつたものだつた。「今日は家庭訪問の途中で知らない人に呼ばれたので行つてみたら火傷をしたといつてぬかみその桶に足を入れてたのよ」と報告する人もあつた。
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