特集 世界の助産婦と母子保健
国際助産婦連盟学術大会
合衆国の助産婦と母子保健(2)
Sandra L. Botting
1
,
Dorothea M. Lang
2
,
川本 道彦
1Midwives Alliance of North America
2Regional Representative International Confederation of Midwives
pp.366-369
発行日 1990年5月25日
Published Date 1990/5/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611900086
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はじめに
アメリカ史の初期の植民の記録を見ると,助産婦は新しい移住地では非常に重要な存在であったことがわかる。移住民の大半は,それぞれの民族固有の助産婦を北アメリカへ移住させた。移住してきた助産婦は,それぞれの母国で教育を受けており,英語もそれほど話せなかったので,自分と同じ文化の地域の中で職務を果たさざるを得なかった。当時は,異文化間にわたる助産婦組織はなく,また公的に認められた助産婦教育制度もなかった。
新しい世紀になって,1905年には,合衆国の分娩の3分の1から2分の1を助産婦が介助するようになった。1911年から1935年の間,世界的に有名なベルビュー助産婦学校(病院が直接,教育を行なった)がニューヨーク市にあった。1932年には,看護学校卒業後の教育課程,最初の看護・助産婦(nurse-midwifery)学校がニューヨーク市にあるマタニティー・センター・アソシェーション(Maternity Center Association, MCA)に開設された。分娩時の鉗子の使用が行なわれるようになり,また鎮痛剤や麻酔薬が産科でルーチンに使われるようになり,病院内ですべての産科医に対して,これらの処置が教育されるようになった。今世紀の半ばまでには,病院が唯一の分娩の場であることが推奨されるようになった。
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