グラフ解説
乳児園を併設した助産院開院の夢を実現させるまで
小池 トモエ
1,2
1鋼管通助産院
2鋼管通乳児園
pp.578-580
発行日 1983年7月25日
Published Date 1983/7/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611206272
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養母の半生
助産所という言葉から受ける印象は,何とも古
めかしく老朽化した木造家屋で年寄りの産婆が老
眼鏡越しに,診察や助産をさせている光景を想像
されることと思います。戦後,産婆から助産婦と
その名称が変わっても,まだまだ産婆の方が一般
的名称なのが現状です。
私の養母(実母の妹)が,川崎の地で産婆を開
業したのが,昭和4年の秋ごろと聞いております
ので,養母は半世紀を川崎で分娩介助一筋に生き
てきたことになります。取り上げた川崎市民は,
1万人を越えたということですが,2代目の私は
現在,助産所に乳児園を併設して子連れ分娩を扱
っております。
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