母もわたしも助産婦さん
開業助産婦の自負
嶋田 節子
pp.30-31
発行日 1966年6月1日
Published Date 1966/6/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611203204
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さて翌26年に保健婦の資格をとり,保健所勤務をと思ったのですが,母は年もとり,高血圧症で無理はできないし,一方の眼も緑内障が進み,また手術せねばならないような状態でしたので,やはり助産婦の道を歩むことにしましたが,保健指導ということを非常に強く打出すことができたので,私にとっては鬼に金棒といいますか,若手助産婦として保健婦の仕事をプラスすることができ,よい仕事をしようと前にもまして張り切ることができました.
母と私の助産婦の仕事で時代の差を見出すとしたら予防医学としての保健指導ということを大きく取り上げることができるでしょう.その頃私はまだ独身時代でしたから,慶応の三水会には欠かさず行っていました.また各種の再教育,都の研修会などに出て日進月歩の産科学界から立ち遅れまいと考えていました.28年に家族計画実地指導員の資格を取る頃には,いつまでもお産姿さんちのお姉さんでなく,早く貫録がつくように年を取りたいと思いました.自分より年上のおばさんたちのお産を取り上げるのが何だか悪いような気がしました.今では年のわりに頭は半白になってしまい.男性ならロマンスグレイというところでしようが,ああ年は取りたくないと言っている私ですから勝手なものですね.
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