連載 ドキュメンタリー・日本の助産婦・8
神戸で生き神様と信奉された産婆さん—いま宮崎市で老後を送る村上ナミさん
落合 英秋
pp.48-52
発行日 1973年3月1日
Published Date 1973/3/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611204493
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献身を生きがいとして
「いまでこそ,どこにでも自動車はありますが,わたしの開業時代は,車をもっている家といえば,知事さんか,市長さんくらいのものでした。急を要するときは人力車2人引きで,よいしょ,よいしょと,汗だくになって駈けつけていました。夜中になると人力車も思うようにありません。電話がはいると,何はさておき,吹雪のなかであろうと,雷雨が激しく,いまにも目の前に落ちそうであろうと,ああ職に殉ずるのも幸福よ,と胸に念じることがいくどあったかしれません。産家へ着くと,肌着までびしょぬれになっていることもありました。でも衣服をかわかす暇もなく,すぐ産褥の世話にとりかかるのです」
これは半世紀も昔のある"産婆"の姿である。語るのは村上ナミさん,明治24年の生まれで82歳。白髪で顔には80年間の苦労を思わせるシワが目立つが,肉体も精神も全く衰えをしらない。もちろん,現在は助産婦業から遠のいてはいるが,過去30数年間"産婆"として全力投球した戦前の神戸での開業時代を,その歳を思わせないほど,彼女は明晰に覚えていた。
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