母もわたしも助産婦さん
いさぎよく大学を退いて
佐々木 節子
pp.46-47
発行日 1968年1月1日
Published Date 1968/1/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611203509
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〈1〉
都心から約1時間,東京の西のはずれであるこの浅川は,私の故郷であり,仕事の場である.四季折々に美しい高尾山や,多摩丘稜にかこまれた,空気のきれいな住みよい町である.都心からの手頃なハイキングコースだけに,行楽シーズンには若者たちや,家族連れで大賑わいである.この秋には,京王線も高尾山まで乗り入れるようになったのでなおいっそうにぎやかになった.
母がこの地に開業したのは,昭和2年のことだからもう40年も前のことになる.23歳の若さで(もちろん独身)「産婆」の看板を出し,人力車で堂々と乗り廻したというのだから,全く恐れいってしまう.間もなく結婚したが,なかなか子供に恵まれず,6年目にようやく長女の私が生まれた.2人目,3人目とも女で,ついに男の子は持てなかったが,よその人たちから「いいですね.後つぎがあって」と,よくいわれたことを子供心に覚えている.
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